「トラウマ」という言葉を巡る旅

トラウマからの回復の道のりは、長い戦いになります。もしあなたがトラウマに悩む人なら、あまりに長くなるため、過干渉の毒親ストーカーと化したDV配偶者から妨害されたり、「生まれてこなければよかった」と落胆する日もあるかもしれません。

 

あなたの人生にもいろいろあったように、「トラウマ」という言葉や概念も変遷をたどってきました。それを知ることで、あなたのトラウマからの回復の旅がちょっぴり短くなったり、楽になったりするかもしれません。

 

トラウマの語源

トラウマ(trauma)はドイツ語で、心理学や精神医学の学術用語で「心的外傷」あるいは「精神的外傷」と訳されています。実は、もともと「ケガ」や「傷」を意味するギリシャ語τραύμα(トウマ→ラにアクセント)でした。「心的外傷」と特化してギリシャ語から転用したのは、オーストリアの精神科医で、精神分析学の父、ジークムント・フロイトです。

 

1917年:ギリシャからウィーンへ

今から100年前、第一次世界大戦中のこと。フロイトは戦争で精神を患う兵士と接するなかで、身体的な外傷(ダメージ)によって回復後にも後遺症が残ることがあるのと同様に、後遺症が残る精神的な外傷があることを発見します。この心的外傷を「トラウマ(trauma)」と呼び、1917年『精神分析入門』で発表したのがはじまりです。これを機に「トラウマ=心的外傷」という言葉はドイツ語圏から英語圏へと旅立ちました。

 

トラウマはフロイトによって発見されたものの、精神分析学の研究対象とはならず、概念が進化することはありませんでした。もっとも第一次世界大戦後のフロイトは、身に降りかかる不幸でそれどころではなかったかもしれません。精神分析学が苦境に立たされたうえ、ユングやアドラーなど親しくしていた弟子たちから離反され、孤独と困窮に喘ぐなか、娘や親しい弟子たちの死が追い打ちをかけます。この悲劇的な体験が「デストルドー(死の欲動/タナトス)」の着想につながり、やがて1923年の『自我とエス』で発表される「無意識」の概念を生み出すことになります。

 

1947年:アメリカ

「トラウマが病気である」と認識されるのは、第二次世界大戦後のアメリカでのことです。ニューヨークの退役軍人病院で勤務した精神科医のエイブラハム・カーディナーが1947年に発表した『戦争ストレスと神経症』の中で、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」と病気として定義づけました。

 

カーディナーは、40症例を超える膨大な臨床データからトラウマによって「リアルな外界を手なづける機能が損なわれる」と結論づけています。トラウマとなる精神的なダメージを受けた人には、日常生活でごく当たり前の音や光といった刺激に「ビクっ」身構えたり、恐怖で体が固まってしまうといった、過剰な反応が見られます。外部からの刺激をありのまま受け止めて、変化に合わせた対処をする機能が欠落してしまうというのです。

 

現在、PTSDの典型的な症状といわれる3つの心理的な反応は、カーディナーの概念に基づくものです。

 

2001年:イスラエル

トラウマやPTSDという概念が深まり、診断・治療・予防の方法が発達した経緯は戦争は深く関わっています。現在のPTSD治療の最先端といえばイスラエルでしょう。たとえば、2001年に創設されたNGO団体IsraAID(イスラエイド)は東日本大震災で活動を行い、成果を上げた数少ない団体といえます。震災の発生直後、いち早く現地入りし、「Healing Japan」と銘打ち、アートセラピストチームが被災者の癒しと回復のサポートにあたりました。


活動の一環として、トラウマケアのためのアートセラピーのトレーニングコースが実施され、わたしも参加したのですが、講師陣は未だに終わらないパレスティナ抗争と周辺国を巻き込んだ戦闘によって知人や家族を失った体験を持つ人がほとんどでした。

 

フロイトも出自はユダヤ人であり、第二次世界大戦中はオーストリアに侵攻したナチスに追われ、4人の妹は収容所で死を迎えています。フランス初の女性精神分析学者で交流のあったマリー・ボナパルト(ギリシャ王子に嫁いだナポレオンの末裔)の支援でロンドンに亡命。その翌年、末期ガンで亡くなりました。現在、ロンドンのゴールダーズ・グリーン火葬場の霊廟で愛妻とともに眠っています。

 

紀元前4世紀:ギリシャの居心地

ギリシャから言葉を借りたフロイトの遺骨が納められたのは、ギリシャ製の骨壺です。生前、マリー・ボナパルトから贈られた紀元前4世紀の作で、ワインと酩酊の神であるデュオニソスが描かれているとか。

 

ところで、フロイトは、なぜ、ギリシャ語から転用したのでしょう?

 

trauma(トラウマ)と実によく似たドイツ語の単語に、traum(トラウム)があります。意味は「夢/夢見る」です。

これはまったくの想像ですが、もしかしたらトラウマを「夢のようなもの」とフロイトは考えたのではないでしょうか。 

 

わたしたちは、あまりにも幸せな現実を「夢みたいだ」とうっとりし、記憶から消し去りたい体験を「夢ならいいのに」と嘆きます。

正常な感覚機能から得られた情報から、現実に起きていないトラウマティックな体験を想起するがために、恐れる、こわばる、避ける、記憶を消すといった誤作動が生じる……カーディナーの言った「リアルな外界を手なづける機能の欠落」とは、まさに夢のようなものです。

 

デュオニソスの恩恵であるワインや酩酊は、傷そのものを癒すことはできませんが、その苦痛を一時的に和らげ、リラックスさせることはできます。

 

とりあえずこの痛みを一旦預けることで、トラウマに向き合う選択肢が増えたり、あるいはこの悲劇的な体験をリソースとして活かす道を見出せるかもしれません、フロイトのように。

 

 

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