【2023年】幸せになる!自分を変える7つの習慣【7】禁忌事項②反省

自分を変える習慣でやってはいけない禁忌事項の2つめが「反省」です。


反省そのものは、前を向いて行えば、とても有用で効果が期待できるものです。前進や進化を考える場合には欠かせません。
ただし、一人で行う「反省」のほとんどは、他者への謝罪か、自分への断罪に行きつきます。「反省」という名目で自分を否定し、責めたて、追い込んだりするのです。毒にしかなりません。


にもかかわらず、危険な反省をする人が後を絶ちません。人はとかく反省しがちですが、その誤解とまちがった反省のリスク、正しい反省についてお話しします。反省という名の虐待で、ご自分を傷つけることがありませんように。

 

「反省はカンタン」という誤解

1991年に胃薬のコマーシャルで当時テレビ出演をきっかけに反省ポーズが人気になったサルの次郎クンが出演しました。

 

 

宴会続きで食べすぎ・飲みすぎをしちゃったあとの胃の不調を、反省するより胃薬で問題解決を呼びかけました。

 

このCMのヒット後、ライバル製薬会社が「反省だけならサルでもできる」というCMを公開。反省より「愛情一本を」と訴えます。

 

んなの

 

胃の不調はともかく、自分を幸せにするなら、反省より愛情(自愛)のほうがたしかに効果はあります。ただ「サルでもできる」というフレーズで「反省なんて実はカンタンなもの」という誤解が生みました。次郎クンは、一人で覚えたわけではありません。村崎さんというのちに日光猿軍団を率いた名猿回しの指導と特訓によって、このポーズを完成させたにもかかわらずです。

 

それだけではありません。反省は、謝罪や後悔でしかないうえ、軽く冷たくあしなわれるものとして描かれました。もちろん、このCM、この時代のせいではありませんが、わかりやすい形で反省に対する誤解が生じたのはこの頃からではないでしょうか。この誤解を笑った世代、その世代に育てられた世代に、反省を正しく理解されているかというと、かなり疑問です。

 

一人で反省すれば、まず間違いなくこのようなシチュエーション、つまり謝罪や後悔の念で自分を軽んじ、冷たく追い込むことになります。こんなの反省でもなんでもありません。承認欲求の悪用です。

 

孤独な反省は自己批判の無限ループ

ここで「反省」と呼んでいるのは、心理学では「ネガティブな反すう」と呼ばれます。自分に起きたイヤなことについて、「ああ、やってしまった」と全面的に自分に非があると断定し、「ああするんじゃなかった、こうすればよかった」「自分はなんでいつもこうなんだろう」何度も何度も長時間思い返しては、「だから自分はダメ(できない、使えない、いらない存在)なんだ」という結論へ導くのです。


その結論はダイナミックな妄想で、事実からかけ離れているのですが、本人は事実と信じて疑いません。
なぜそうなるのか、そして、「ネガティブな反すう」を続ける危険性についてみていきましょう。

 

①他人と比較する

誰でもある程度は他人の目を意識して生きています。ただ、ネガティブな反すうの無限ループに入る人には、ひとつの大きな誤解が生じています。
それは「すべての人は自分より優れている」という思い込みです。


周囲の誰もが「自分よりできる(仕事・勉強・家事・育児)人格者で、問題も不満もストレスもサクサク自己解決し、幸せで健康で、明るい未来が待っている」ように見えるのです。それに引き換え「自分は何もうまくできない」と嘆きます。

 

②過去に執着する

正しい反省には「批判的な姿勢」で「過去を振り返る」ことがたしかに必要です。
ただし「よりよい未来のため」という反省の目的が、いともたやすく忘れられてしまうことに問題があります。過去のうまくいかなかったことをひたすら振り返っては「あれがダメだった」「あのときこうすればよかった」と自分にダメ出しをするのです。


これでは「後悔」にしかなりません。まあ後悔ならまだましです、教訓が生まれるかもしれませんから。

 

大間違いの反省は「自分がどんなにダメ人間であるか」を列挙し、自己批判する舞台になります。これはかつてある社会思想グループの間で「総括」と呼ばれた、自分への暴力行為です。「新しい自分に生まれ変わるため」などと理屈がつけられましたが、そんなの嘘っぱち。過去を批判しつづけても何も生まれません。それどころか、心を痛めつけるだけです。

 

③公正にジャッジしない

未来のためという目的があるなら、自己批判にも価値はあるかもしれません。ところが、長所や成功を無視して自分を無条件に貶める、非常に不公平な裁定を下すのです。このように自己評価を下げることを目的とした悪意の判定が、「反省」と称してよく行われています。こんなの八百長です。


なのに、八百長審判が癖になっている方も少なくありません。なぜでしょう?

 

自分が成功や達成を阻まれ、幸せにならない責任をとらせるためです。つまり、八百長審判に責任転嫁しているのです。だから、止めませんし、むしろ助長します。幸せを夢見てもいいけど、実現するのはダメ、そんな人にとって八百長審判は非常に都合のいい存在なのです。毎日「できる自分」「ステキな自分」「ごきげんな毎日」になることを許さず鉄槌を加えます。

 

④一人で行い、アウトプットしない

一人の脳内で行われる場合、それは間違った反省であることがほとんどです。反省の達人ともなれば、可能でしょうが(それは「内省」とか「瞑想」とか呼ばれます)、初心者や、前向きに反省したい人、反省で何かを得たい人はておくのが無難です。むしろプロですら、こんなことはしません。


PDCAやDCAP、PPDACという言葉をご存じの方も多いでしょう。ビジネス戦略のブラッシュアップや問題解決のフレームワークです。
PDCA/DCAPのC(Check:評価)、PPDACのA(Analysis:データ集計と分析)が「反省」にあたる部分で、ここでは失敗原因の洗い出しがされます。これはチームで行われます。みんなで書き出すなどアウトプットされた情報を共有し、検討して、修正が加えられます。これが正しい反省のあり方です。「失敗したからもうやらない」でなく「うまくいくように失敗を活用する」作業です。


一人の脳内の作業では、ここに行きつくのが難しいため、メソメソ、クヨクヨと嘆くネガティブな反すうをダラダラ続けることになるのです。

 

⑤うつ状態に陥る

ネガティブな反すうを長期間続けることで引き起こす最悪のリスクは、うつ病です。医学用語では「抗うつ的反すう」と呼ばれ、抗うつや不安、ストレスを増幅させ、うつ病や不安障害、強迫性障害の発症要因になることが、研究結果として多く発表されています。

 

チームでアウトプットして、建設的に行う正しい反省は非常に難しいし、日常的にできません。だから、ネガティブな体験を何度も繰り返し思い出しては、長時間思い悩み続ける、という代替行為を行います。ところが、その行為で、心はダメージを負ってしまうのです。

 

「ま、いっか!」と気分転換したり、「もう考えるのはやめよう」と割り切ったりできればいいのですが、責任感が強い人、完璧主義の人ほどそれを許さず、思いつめたり、考え込んだりしがちです。責任感で病気になってしまったら元も子もありません。

 

まとめ:正しく反省するポイント

2020年天皇杯をヴィッセル神戸で獲得して引退した元スペイン代表のストライカー、ダビド・ビジャは2021年1月に出版された著書の中で日本人が決定力不足になる点を、次のように分析しています。

 

日本人プレーヤーは失敗を異常に恐れる傾向にあります。成功確率の低いプレーに対してチャレンジするのではなく、失敗するならチャレンジしないほうがいいといった思考が働くようです。シュートというプレーは、試合のなかでも数が限られています。(中略)貴重なシュートシーンにかかる責任は計り知れません。(中略)失敗を何か月も引っ張ってしまうことも多々あるようです」

 

危険な反省(ネガティブな反すう)になりがちなのは、こんな日本人の特性にもあるかもしれません。
失敗は、ブラッシュアップや問題解決の材料であって、個人攻撃や自己評価を下げるものではありません。その失敗をクヨクヨ悩み続ける危険な反省(ネガティブな反すう)は止めましょう。


もし、まじめに真剣に反省がしたいのであれば、①他の人とチームで行うことが第一条件になります。そして②よりよい未来という目的をもつこと。環境要因として③時間と場所を限定する(ダラダラ続けない)とか、④アウトプットして情報共有する⑤現状でできている点・うまくいっている点を加味するといった、建設的に進められる工夫も必要です。

 

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